2013年9月14日土曜日

過去ブログからの転載:自転車復帰に向け準備開始!

Bloggerに引っ越す前はtumblrでブログを書いていました。
tumblrをカスタマイズして使っていたのですが、やはりBlogはBlogサービスを利用した方が使いやすいし、閲覧性に優れます。

それでBloggerにお引っ越ししたのですが、検索性の悪いtumblrのこと、過去に書いた日記が検索できなくなりそうです。
そのため、Bloggerに過去記事のお引越しをすることにしました。

以下の記事は、現在の記事ではなく、過去の記事となりますので悪しからずご了承ください。

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元記事:http://akihiro555.tumblr.com/post/61180959930

骨折してから二ヶ月半が経ちました。
療養とリハビリ、減量と筋トレの毎日です。
今月末から自転車に乗れるようになるはずです。

滑って転倒したタイヤを使って走るのも嫌なので、タイヤ交換をしました。
購入したタイヤはこれです。



Bianchi RomaⅡのチェレステカラーに近い色をチョイスしました。
Amazonで購入しました。

タイヤ交換をするにあたり、せっかくなのでタイヤ交換をする所を写真に撮って、手順の説明をしてみようと思いました。

超初心者向けです。


まずは交換前のRomaⅡです。


骨折してから、初めて愛車に触れました。
ちょっとだけ乗ってみたのですが、肘がまだ少し痛みます。
9月末になって医者から自転車OKが出ても、劇的に改善してるとは思えないので、しばらくは近場を乗り回してリハビリでしょうね。

それでも自転車に触れる気分になっただけ、良くなってはいるようです。

さて、それではタイヤ交換と行きましょう。
まずはブレーキを外します。



これでブレーキは全開状態となります。

そして自転車をひっくり返し、タイヤを外しやすくします。


上の写真のようにレバーを引っ張り、開きます。開いたあとはレバーを回転させるとフロントフォークを挟み込む力が弱まり、外れるようになります。

外したら、タイヤから完全に空気を抜きます。

空気が抜けたら、タイヤレバーをタイヤとリムの間に差し込み、テコの原理でタイヤを持ち上げ、リムから外します。


タイヤレバーをスポークに引っ掛け、固定します。

次にバルブを挟んで反対側も同じようにタイヤレバーで処理し、固定します。


タイヤレバー二本で固定して隙間が出来ているので、三本目を隙間に突っ込み、写真のようにスライドさせてリムの外側にタイヤが出るように外します。

片方のリムからタイヤが外れたら、もう片方も同じようにしてタイヤを外します。



タイヤを外した所です。
チューブも外しました。もしかすると慣れた方だとタイヤ交換ではチューブを外さないのかもしれませんが、私には新しいタイヤを嵌めるときにチューブが無い方がやりやすいため、チューブを外してました。


取り敢えず、リムの片側だけにタイヤを嵌めます。この段階では指で簡単に嵌められるはずです。

リムの片側が嵌ったら、チューブを嵌っていない方のタイヤとリムの隙間から入れ、バルブをリムに嵌めて固定します。


チューブを両方の手の親指で押し込んでいきますが、この時、決してチューブが中で捻れたりしないように注意して下さい。
中でチューブが捻れたり撚れたりしてると、簡単にパンクします。

チューブを入れたら、タイヤのサイドウォールに親指をかけ、タイヤをリムに押し込んでいきます。


今回購入したタイヤは、スポーツ用タイヤのため、軽くてサイドウォールも柔らかいので簡単に入れられました。
しかし、耐パンク性能の高いタイヤなどは頑丈にできているため、押し込む際に苦労します。


タイヤを嵌め終わったら、指でタイヤを押して、中のチューブの状態を見て、
捻れたり撚れたりしていないかを確認します。

これでタイヤ交換は終わりです。

後は車体から外した時の手順を逆に行って、タイヤを車体に取り付けて下さい。
特にブレーキを元に戻すことを忘れないようにして下さい。

後輪を外すのも、スポーツタイプの自転車でタイヤがレバーで固定されているタイプの自転車であれば前輪と変わりません。
ママチャリ等で後輪がドラムブレーキだったりする場合は、脱着が面倒なので自転車屋さんでお願いしたほうが安全です。

ギアは一番重いギアに入れておくとやりやすいようですが、あまり神経質になることもありません。


外す時や嵌めるときにディレーラーが邪魔になるようであれば、指で押して移動させます。
上の写真は半分だけ外した状態です。

ところで、最後になりましたがタイヤについての注意事項です。

1.タイヤの回転方向を間違えないこと!
  誤って付けると危険です。
2.空気圧は守ること!

今回購入したタイヤはサイドウォールの表記を見ると、120PSIが最高空気圧です。


120PSI入れておく事が必要ですが、高くても低くてもパンク等のトラブルが起こりやすくなります。

そのために、空気圧計付きのポンプを常備しておくことをオススメします。
まめに空気圧はチェックして下さい。

交換後のRomaⅡです。


タイヤのカラーと車体のチェレステカラーがマッチして、良い感じです。
早く乗りたいなぁ!

2013年9月12日木曜日

過去ブログからの転載:福島県南相馬市住民からのメッセージ

Bloggerに引っ越す前はtumblrでブログを書いていました。
tumblrをカスタマイズして使っていたのですが、やはりBlogはBlogサービスを利用した方が使いやすいし、閲覧性に優れます。

それでBloggerにお引っ越ししたのですが、検索性の悪いtumblrのこと、過去に書いた日記が検索できなくなりそうです。
そのため、Bloggerに過去記事のお引越しをすることにしました。

以下の記事は、現在の記事ではなく、過去の記事となりますので悪しからずご了承ください。

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元記事:http://akihiro555.tumblr.com/post/61014743409

昨日のニュースウオッチ9を見た、福島県南相馬市に住む私の友人が長文の感想をTwitterで呟いていました。

震災と原発による被災地住民の率直な意見に深く感じるところがあったのと、複数ツイートにまたがる長文なので散逸を防ぐため、本人に確認の上、私のブログにまとめることにしました。

友人は、もし感想や意見も聞ければ聞きたい、質問にも答えるとのことでしたので、質問やご意見がある場合はブログのコメント欄に書き込みしていただくか、右下のメールアイコンからメッセージを送って下さい。
本人に伝えます。

Tumblrユーザーの方はダッシュボードからメッセージをどうぞ。

それでは、友人のツイートを転載します。

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にいしばわんこ( @niiisiba )のツイート

1、昨日のニュースウォッチだけど、自主避難してる人が何らかの理由で戻ってくる。
その時に避難しなかった人たちとの温度差が自主避難した人を苦しめるみたいな特集だったのかな。

2、うちは一時避難で10日ばかり宮城の親戚宅に避難して、その後また福島に戻ってきた経緯があります。
うちの実家の周りには5軒くらい家があるけどどこも避難せず、例えば寝たきりのお年寄りがいるお家だったり、避難と言っても隣の相馬市にいってたりで宮城までいったのはうちだけだった。

3、結局10日して戻ってきて、両親は近所の人たちに戻ってきたよーって伝えたり10日間地元はどうだったかとか情報交換したりしてたけど、私からみて孤立したって言うのは全くなかった。
長年培ってきたコミュニティだったせいもあるのかもしれないけど。

4、うち自身が住んでるのは所謂市営住宅みたいなもんだったので大体は実家に帰ってたりしたようですな。中には旦那さんが単身赴任中でそちらに引っ越していったご家庭もありました。だけど別にそれで近所の噂になるとか全くなかった。

5、ちびがちょうど1年生にあがる時に起こった震災だったから入学式もいつもより遅れたせいもあって、特に保護者間でどうだこうだって言う話はなかった記憶が。ただ、OOちゃんはXXに引っ越したとかそういう情報のみは入ってきてたけど。地元を見捨てたとかそういうのは無かったよ。

6、そのうちだんだん情報が分かってきて、ネットやマスゴミ、週刊誌でデマも真実もごっちゃ煮状態で我が家もガイガーカウンターを買ったりもしました。雨樋の下、結構線量高くてどうしようかと悩んだもんです。よくよく調べたらドイツやフィンランドの空間線量と比べると低い数字。

7、他にも実家の親や近所の人たちは元々出荷する程ではないがそれなりに田畑をやってました。親は親で情報を集めていわきの方だったか、南相馬だったか、野菜の放射能値を調べる為に送ったりなんだりして正確な数字を求めるようになってました。

8、ひまわりがいいと言われればひまわりを植え、じゃがいもがセシウム吸着率が高いと言えばジャガイモを植え、試行錯誤して畑を再生しようとしていました。田んぼの方は、津波の水を被ったせいで塩を抜かないといけないという事で先に畑に着手したようです。

9、あれから2年半、実家で作ってる野菜は全て検出されず、NDです。トマト、キャベツ、スイカ、メロン、カボチャ、ぶどう、梨、ワサビ菜、しそ、キュウリ、なす。まだ作ってる野菜がありますが全てND。そういう実績に触れているからこそ、デマにも振り回されなくなったと思います。

10、さて、自主避難された方はおそらく小さいお子さんがいるご家庭が多いと思います。うちのような機会に恵まれる人も少ないのが実情ではないでしょうか?納得されないまま戻られるのはストレスになるだけかと。

11、自分で納得出来る情報を、気に入る気に入らない関わらず吸収して吟味してください。ガイガーカウンターを使うのも手ですが正しい測定方法で測定しないと、振り回されるだけです(経験済

12、空間線量が怖いのか、食べ物が怖いのか、水が怖いのか、子供の成長に影響が出るのが怖いのか、近所付き合いが怖いのか1つづつ調べてみてはいかがでしょうか。それで自分の心が納得出来たら戻ってくれば良いのですよ。

13、どうしても戻らなければいけない、私情は挟めない状況の方は、今その土地に住んでる人と話してみる。友人でも役所の人でも保育所の先生でも良いから話してみる。はなから危ない場所に行くんだ!という先入観は捨ててください。今まで住んできた人を否定する事にもなり得ます。

14、貴方は子供がかわいそうじゃないの?危ない場所で生活して将来何かあったらどうするの?なんで避難しないの?とは、うちも散々言われた事です。上記で説明した通り、福島は安全と判断したから今ここで生きています。

15、長くなりましたが、今の福島の方が食べ物、水、土地、全て検査されてますので、皮肉にも安全が目に見えて分かります。
今後福島に戻る予定の方も、今までもこれからも福島に居る方もお互いストレスを感じないでつき合っていけたらいいなと思います。

2013年9月11日水曜日

過去ブログからの転載:トルコ大好き!

Bloggerに引っ越す前はtumblrでブログを書いていました。
tumblrをカスタマイズして使っていたのですが、やはりBlogはBlogサービスを利用した方が使いやすいし、閲覧性に優れます。

それでBloggerにお引っ越ししたのですが、検索性の悪いtumblrのこと、過去に書いた日記が検索できなくなりそうです。
そのため、Bloggerに過去記事のお引越しをすることにしました。

以下の記事は、現在の記事ではなく、過去の記事となりますので悪しからずご了承ください。

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元記事:http://akihiro555.tumblr.com/post/60748388159

今朝ほど、投稿した「五輪決定後に感動を呼んだトルコからの祝福」

元記事を読んだ時は、トルコの潔さと友情に涙が出ました。

トルコは親日国であると言われています。親日国となった歴史を遡れば、エルトゥールル号遭難事件にまで遡るようです。
どのような事件だったのかは、リンク先のWikipediaでご確認下さい。


写真はイスタンブールです。

親日エピソードとして私が知っているのは、イラン・イラク戦争時の逸話です。
以下、Wikipediaより引用。

21世紀に入ってからはエルトゥールル号事件の顛末が、1985年昭和60年)のイラン・イラク戦争における逸話と絡めて、インターネット上の電子掲示板メールマガジンで紹介される機会が増えた。
当時、イラクサダム・フセインは、イラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言を行った。各国は期限までにイラン在住の国民をメヘラーバード国際空港から軍用機や旅客機で救出したものの、日本は自衛隊の海外派遣不可の原則のために、航空自衛隊機による救援が出来なかった。さらに、日本航空は「イランとイラクによる航行安全の保証がされない限り、テヘランのメヘラーバード国際空港行きへの臨時便は出さない」とし[6]、在イラン邦人はメヘラーバード国際空港の出発ロビーで、誰にも助けて貰えない危機的状況に陥った。野村豊イラン駐在大使が、トルコのビルレル駐在大使に窮状を訴えたところ、ビルレル大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも。」と答えた[7]大使の要請を受けたトルコ航空は自国民救援のための最終便を2機に増やし、機長オルハン・スヨルジュ(2013年2月24日死去)らがフライトを志願。215名の日本人はこれに分乗し、期限ぎりぎりで危機を脱することができた。全員、トルコ経由で無事に帰国できたのである。ちなみにトルコ機は、トルコがイラン近隣に位置することから、陸路での脱出もできる自国民よりも日本人の救出を優先。この救援機に乗れなかったトルコ人約500名は、陸路自動車でイランを脱出することとなった。
なお、2013年現在では自衛隊法が改正がされており、有事により在外邦人を国外に脱出させる必要が生じた時は、外務省在外公館を通じて、相手国の許可を得た上で、防衛大臣の指揮により、自衛隊の日本国政府専用機護衛艦によって在外邦人を輸送する。また自衛隊は在外邦人輸送訓練を毎年行っている。
この逸話は、特に2002年平成14年)のサッカー2002 FIFAワールドカップでのサッカートルコ代表チームの活躍を機として、盛んにテレビ番組雑誌でも取り上げられ、日本の一般の人々の間にも徐々に広められるようになった。2004年(平成16年)には、これらのことを紹介した児童書が小学生高学年向けの読書感想文コンクール課題図書[8]になり、現在では日本でも、「親日国トルコ」のイメージを語るエピソードとしてなくてはならないものとなった。
2006年(平成18年)、日本政府は、イランで救出に当たったトルコ人の客室乗務員など13人に勲章を授与し、感謝の気持ちを送った[9]
2007年(平成19年)10月28日、同時期に開催されたエルトゥールル号回顧展に併せて、東京都三鷹市の中近東文化センターでこの事件に関するシンポジウムが、当該トルコ航空機の元機長、元客室乗務員、野村元駐イラン日本国特命全権大使、森永元伊藤忠商事イスタンブル支店長、毛利悟元東京銀行テヘラン駐在員ら当時の関係者出席の上で開催されている。
この事件を知った時には、なぜ当時の日本政府やマスコミは国を上げて感謝しなかったのか、恩を返そうとしなかったのか、腹立たしく思いました。

いまの日本は、東日本大震災で台湾から受けた恩、オリンピック選考でのトルコからの祝福を国民が識ることが出来る状況にあって、良い状況に変わってきていると思います。

相手が遠く離れた国であろうと、小国であろうと受けた恩は返すのが人としての筋だろうと思います。


写真はカッパドキアです。

さて、話は変わりますが、トルコはサクランボの原産国としても有名です。
日本では山形県寒河江市がサクランボの産地として有名ですが、寒河江市はサクランボ繋がりで、トルコ共和国ギスレン市と姉妹都市になってます。

姉妹都市提携を記念してチェリーランドという道の駅に、トルコ館が建てられています。


写真はトルコ館内部。

私は妻が山形県出身で、寒河江を必ず通るのですが、里帰りする度に必ずトルコ館に寄ります。

トルコ館に足を踏み入れると、まるでトルコに行ったかのような錯覚に陥りますが、実際、トルコの技術者を呼んで建てたそうです。

ここでは色々なトルコの工芸品を買うことができますが、私のお気に入りはトルコのお守り、ナザーレボンジュウです。


青いガラスで目玉を模した物ですが、この目はメデューサの目を模しています。自分に対して邪な事を行おうと見つめてくる者や、降りかかる悪運をメデューサの邪眼で石にして無力化してしまおうというお守りです。

このトルコ館に行く度に、ナザーレボンジュウを購入しています。


この写真は妻から贈られたネックレスとペンダントヘッドに、2個のナザーレボンジュウを組み合わせたものです。このネックレスは常に肌身離さず着用していますので、魔除けになっているのではないかなと思います。

もう一つ。


これはトルコ館で購入したターコイズのブレスレットに、ナザーレボンジュウを組み合わせたものです。プライベートでお出かけする時は、必ず着用しています。

こんな風にファッションに簡単に組み入れらるので、ナザーレボンジュウを購入してお使いになってみてはいかがでしょう?
ナザーレボンジュウをキーワードにして、ググってみたら通販サイトがたくさんありました。

こんな些細な所から、国際交流を始めてみてはいかがでしょう?

そして、最後に。

トルコは世界大戦時に日本に対して宣戦布告しているから、親日国ではないという意見があります。

しかしその意見が的外れであることは、このリンク先を読めば明らかです。

受けた恩や示された友情を支えとし、今後も仲良く付き合っていける事を望みます。

2013年9月8日日曜日

過去ブログからの転載:リハビリ日記

Bloggerに引っ越す前はtumblrでブログを書いていました。
tumblrをカスタマイズして使っていたのですが、やはりBlogはBlogサービスを利用した方が使いやすいし、閲覧性に優れます。

それでBloggerにお引っ越ししたのですが、検索性の悪いtumblrのこと、過去に書いた日記が検索できなくなりそうです。
そのため、Bloggerに過去記事のお引越しをすることにしました。

以下の記事は、現在の記事ではなく、過去の記事となりますので悪しからずご了承ください。

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元記事:http://akihiro555.tumblr.com/post/60626034480

6月末に自転車で東京湾から荒川サイクリングロードを遡り、秩父湖まで行って帰るツーリングに出かけました。

60kmほど走った所で道に撒かれていた砂に気づかず、ブレーキを掛けて減速した所、砂で後輪が滑り落車してしまいましたorz

どう考えても転ぶような所ではなく、また私自身に油断があったわけでもありませんでした。悔しくて悔しくて、日記を書くどころか、職場で心配してくれる人にも怪我した事のみを伝えただけで、経緯を話す気にはなれませんでした。

怪我は左腕の肘の骨折です。手術はかろうじてしなくて済んだものの、2ヶ月は腕を机や床等に着くことは厳禁、自転車は3ヶ月禁止となってしまいました。

左肘以外は私も自転車も傷一つ無かったのが不幸中の幸いでした。

しかし、昨年の9月から大きな怪我は3回目です。1年の半分をリハビリに費やしております。流石に凹みます。

特に今回のリハビリは辛かった(;≧皿≦)。゜°。ううううぅぅぅ

折った時より痛いリハビリが一ヶ月ほど続きました。

8月に山形県に遊びに行った折には、大日坊と湯殿山にお参りし、お祓いを受けてきました。

湯殿山ホームページ



大日坊ホームページ



今月末から自転車には乗れるようになります。

今は自転車復帰に向けて、減量と毎日の筋力トレーニングに励んでおります。

減量は取り敢えず、朝食は普通に食べ、昼は腹7分目、夜は腹2分目といった感じの食生活で5kgの減量に成功しました。

もう少し落ちても良さそうな気はしますが、自転車復帰してもしばらくはこの食生活を続け、減量を継続するつもりです。

筋力トレーニングはいつも通り、Xbox360のキネクトユアシェイプ フィットネス エボルブ2012の組み合わせです。

基本的な腹筋メニューにカーディオボクシングを毎日行っています。

腹筋の時は片足に3kgのパワーアンクル10kgのダンベルを右手に持って、行います。骨折する前は両手に10kgづつ持って腹筋していたのですが、医者からOKが出るまでは我慢です。

カーディオボクシングは、いわゆるボクササイズで動画のようなものです。この動画は古いバージョンの物ですが、新しいバージョンはもう少しハードになるだけでシステムは変わりません。





どんな物かは動画を見て下さい。これを行うときには、10kgのパワーベストに両足に2kgづつのパワーアンクル、両手に1kgづつのダンベルを付けて行っています。
ちなみにオレンジの人影は私ではありません(笑)

早く、自転車で通勤したり、あちこちに出かけられるようになりたいです。

今日、新しい自転車用のタイヤをAmazonで購入しました。



早く怪我を治して、このタイヤを付けて走るのが楽しみです。